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病院概要

本院医療の特徴

 本院は県内唯一の大学病院として、県内の高度医療を担う。手術数も年々増加傾向にある。高度医療の一つに移植医療がある。全国に先駆けて腎臓移植に取り組み、2003年に肝移植、2005年に肺移植、2016年には膵島細胞移植、膵臓移植の認定施設になった。

肝移植はカザフスタンなどを訪れ、海外の医師たちにその技術を伝えている。一方で海外から留学生や研修生を積極的に受け入れ、国際色豊かな長崎らしい医学教育を展開している。

また感染症研究や治療では、国際貿易都市だった長崎特有の歴史的な背景を垣間みる。日本でも有数の感染症研究を誇り、国内はもとより世界中から本院の研究に興味を抱く医師たちは少なくない。

海外で移植の技術を伝授する本院の移植・消化器外科チーム
海外で移植の技術を伝授する本院の移植・消化器外科チーム

歴史

 西洋との唯一の窓口として開かれた国際都市、長崎にはオランダとの貿易を通じて、当時最新であった西洋の知識がもたらされた。その中には自然科学、天文学などのほかに西洋医学があった。同時に国際色豊かな長崎の地では、東南アジアを経由するオランダ船によってコレラなどの感染症が蔓延することもしばしばあった。

長崎で流行したコレラの治療に尽力した一人のオランダ人医師、ポンペの存在によって幕府は西洋医学への理解を深めた。西洋医学を体系的に座学で教えていたポンペは日本で初めて、患者をベッドサイドで診ながら医学を伝授できる教育病院の建設を認められ、日本初の西洋式病院「養生所」を誕生させた。これが現在の長崎大学病院となる。養生所は患者をベッドサイドで治療する傍ら、医学教育を実践する場、つまり臨床医学の礎であり、まさしく現在の日本における大学病院の源流である。その後、近代日本の医療を担う人材を輩出し、日本の医学の発展に寄与した。

1945年、その輝かしい歴史に一発の原子爆弾が暗い影を落とした。長崎への投下により、施設は壊滅的な被害を受け、850余名の学生や医師、看護師らが命を落とした。しかし、病院は戦後の町並みの復興とともに見事再建を果たした。被爆者への医療の経験を生かし、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故による被ばく者の治療や検診、福島第一原発事故での医療支援など、被ばく医療分野での世界的な貢献が始まった。

養生所のスケッチ・被爆直後の長崎医科大学附属医院
左:養生所のスケッチ。ポンペ著「日本における5年間」
  (1868年刊、オランダ・ライデン)の挿絵より(長崎大学附属図書館経済学部分館蔵)
  【※編注】著者と本の名称は次の通りです。
  「Pompe van Meerdervoort, Viff Jaren in Japan.1857-1863」
右:被爆直後の長崎医科大学附属医院。
  米軍陸軍病理学研究所返還写真(長崎大学原爆後障害医療研究所蔵)

現在の長崎大学病院は救急医療や高度医療を担う
現在の長崎大学病院は救急医療や高度医療を担う