長崎大学病院脳神経内科

ごあいさつ

革の時、それは今(平成27年11月)

長崎大学病院脳神経内科
教授 辻野 彰

 長崎大学病院の教授になって、1年が過ぎました。すがすがしい秋空のもと、長崎伝統の秋祭りである今年のおくんちも無事終わりました。世間を見渡してみますと、イクメンという言葉はすっかり浸透し、ハロウィンで仮装した人々が、街を占拠し練り歩く姿がニュースに流れています。このような日本人の生活の変化、価値観の多様化は、ただ単に“時代の変化”という言葉だけで片付けることができない、日本人の“脳として大きな岐路”にきているのではないか?と感じるときがあります。学生さんや若い先生たちと会話してみても、その考え方、価値観の中に、年齢によるギャップだけではない本能的な違いを感じるのです。
 最近のインターネットや電話回線の通信速度、パーソナルコンピューターのCPU性能の向上は目覚ましく、ほとんどストレスなく使用できる環境になりましたが、それによってもたらされる膨大な量の情報は、人間の大脳皮質を刺激して、新たな神経ネットワークを形成し、新たな脳の領域として生まれようとしているのかもしれません。一方で、急速なスマホの普及がもたらしたソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)によるコミュニケーションは、人間の感覚を麻痺させ、自他の境界線すら曖昧にさせているようです。
 これらを反映してかどうかはわかりませんが、2021年度から大学入試は大きく変わることになりました。文科省から「思考力」や「表現力」が重視される大学入試改革の方針が打ち出されたのです。近頃の大学受験用の生物の参考書に目を通すと、PCRや遺伝子クローニングに関する問題があり、iPS細胞が小論文のヤマとなっていました。私の高校時代と比較して、驚くほど広範囲で難しくなっています。子供たちは、大学入試を乗り越えるために、日々進度の速い授業を受け、学校からの膨大な宿題をこなし、塾にも通い、理解は曖昧でもひたすら記憶容量を増やす訓練をすることに、時間を奪われています。コンピュータならば、CPUはそのままで、入ってくる情報量が増えれば、処理できずフリーズしてしまうでしょう。
 ところで、医師の世界ではどうでしょうか?新医師臨床研修制度が始まって10年、少なくとも地方にとって良いようには運んではいません。おそらく“若い人たちの脳”の変化を予測できなかったのではないのでしょうか。プライマリ・ケアを重視し、総合医としての基礎的臨床能力を身につけることを目標に掲げたにもかかわらず、逆に地方では以前より専門志向が強くなり、総合力をつけたい卒業生の多くは長崎大学を出て行くようになりました。その結果、新制度開始以前と比較すると入局者数は減少、そこへ医療制度改革による医師の疲弊が追い打ちをかけて、医局は慢性的な人材不足の状態となりました。近頃、来年度(2016年度)の初期臨床研修マッチングの結果が公表されました。長崎大学出身のマッチング者は、来春卒業生予定者104人のうち24人(23%)だけでした。最終的なマッチング者数は、既卒者(5人)と他大学(24人)も含めて53人でした。全国的に見ても大学病院離れは進んできており、回復する兆しはありません。過疎化が進む地方では他県の市中病院からのリターンも期待できないようです。
 大学病院は臨床医学の教育病院としての使命があります。臨床医学の教育は医術とも言われるアートの部分もありますが、科学的根拠に基づいた医療を実践し教育する場でなければなりません。基礎研究で行うものは、科学的根拠の「創造」、いわゆるサイエンスですが、臨床医学では、それを医療の現場へ「表現」することが重要です。いわゆるトランスレーショナルリサーチは臨床研究の目指すところです。しかし、最近の医師は医学博士より専門医志向で、基礎研究は敬遠される傾向にあります。したがって、地方の大学病院での教育の課題は、診療実績を求められる厳しい状況の中で、このサイエンスの部分を如何に育んでいくかというところにあるのではないでしょうか?そのためには、医学教育の中にサイエンスの「創造」と「表現」を体感させる場を作ることが大切であろうと考えられます。そこで、“若い人たちの脳”とどう向き合えばよいのでしょうか?現在、長崎大学では、下川功医学部長のもと積極的に学部改革が進められています。今、まさしく基礎研究のみならず臨床研究も生き残りをかけて変革の時を迎えています。
 医療の多様性・高度化とそれを取り巻く社会的環境の変化に伴って、求められる医師像も大きく変わってきました。そういう状況の中で2017年度から新たに導入される予定の専門医制度によって、現行の医局制度はさらに追い打ちをかけられ、医師派遣のみならず、卒後教育を担当するのも厳しい状況になることが予想されています。今こそ、将来の地域医療を担う “若い人たちの脳”を主体として、卒後教育の抜本的な改革が必要とされる時です。医局の運営を主体に考えると、組織の機能がフリーズしてしまうかもしれません。コペルニクス的転回が必要です。
 このように気持ちばかりが前のめりになっている昨今の私ですが、先日、佐賀の長崎医学同窓会で池田高良名誉教授とお会いできる機会がありました。昔の教授時代の話など、いろいろとお伺いできました。折角の機会なので最後に、「教授になって頑張るために必要なものは情熱ですか?」と質問しました。すると池田先生は、「いいや、がむしゃらに一生懸命頑張るしかないんだよ」と答えられました。無我・無心になることを諭されたような気がしました。

平成27年11月11日

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